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世界・地球

アジア舞台芸術祭に参加しています。 今日、初日の打ち上げがあったのですがそこで、アジア各国の代表の方が挨拶をしていました。 感じた事は、日本は平和だ、と言う事。 他国の方は 世界が狭くなりますように。 地球が平和になりますように。 等のコメントばかり。 皆、地球に住む地球人なんだという事。 今現在、紛争や戦争を経験している国の人の声。 日本人から 世界が平和になるように!なんて言葉、聞いた事ない。 僕達は幸せだ。
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諦め≒開き直り

ちょっと穏やか。金はなくとも穏やか。
なんとか続いてほしいものです。
悪い意味ではなく諦められているんじゃないかと。いい意味で開き直れている。

僕は器用じゃないし、。人よりも時間のかかる人間。苦手なことの方が多い。
身の程を知り、自分ができる事をできる範囲で。
目の前のことに素直に。
自分に素直に。


なんだろうな。

なんだろうな。漠然と役者をやりたいって思ったのは中学生の頃だったはず。たぶん、目立ちたいとか必要とされたいとか思ったんじゃないかな。その後漠然は、感動したい、生きたい、って事に変化した。けど、やっぱ「必要」は漠然の中に含まれている。残っている。と思う。

一昨日気づいたんだですけど、芝居って人の前で泣いたり怒ったりするじゃないですか。
泣く怒るってのは、その人個人のライン?目安みたいなもので、人が何に対して怒るかってのは個人を現わしていると思うんです。
そして泣く怒るってその瞬間を生きてるってことでしょ。舞台上でそう言うことすると見てる人は感動する。日常生活では他人にとってそれは意味?価値はないじゃないですか。まぁ、舞台上でも観客によるし、内容にもよる。舞台上で感じているのは「役」だってのもあるだろうけどそこはちょっとおいといて。

なんどろうな。「自分」がその時を生きていて誰かが感動するってのは「自分」が生きていることに価値が生まれるってことでしょ。
自分が泣いたり怒ったりすることに価値が生まれるなんて「自分」がいるってことじゃん。「自分」に意味があるってことじゃん。
必要でないことはない。
自分っていう存在が生きている必要性。
だからやってるのかも。

ただ僕は日常でほとんどそう言う経験がないんです。怖くて。できていないです。
香川照之さんの自伝本で

「セリフという嘘ごとの中で本当の気持ちを吐く権利と安心感がある」

と書いてましたいが、共感しました。
他人の言葉を借りてじゃないと本音を言えない。

だからやってるのかも。
人として生活するために。

1つの答えを見つけた気になったが、気だけだった


「サマーウォーズ」「沈まぬ太陽」「スラムドッグミリオネア」って映画を観ました。

最近の自分にとっては何かを思わせる作品でして、今日、ひょっとこWEB担当の遠藤君と話す機会があり、その何かを話している間にモヤモヤしていたものが固くなりそうな気がしたんです。だからちょっと書いてみます。


自分は恥ずかしながら「こうしたい!」みたいな欲をあまり持ってないんです。
考えてこなかったと言うほうがいいかもしれない。ただ今の場所では考える機会があったというか与えられてきたというか。で、どうしたいのかってことをずっと空想してきたんです。まぁ役者としてってことなんですけど。

その時たどり着くのは、必死に生きている人を見ると感動するってことが多くどうやら、生きる、ってのがキーワードらしい。そんな下地があって、群馬に行き、悩み、静けさの中の音に気づき、光や風を味わい、それを自分は好きだとジックリ見つめることができた。
僕は普段から空を味わい風を聞き、日常の音を聞いていた。わざわざipodを止めてその音を聞きたいと行動していた。聞きたがっていた。
何かが生きてるいことを感じられたからなのか…

ただただ日々を生き抜くことだけで精一杯な世界もある。スラム街とか怖ーし汚ねーし殺されるし。キツイ。
何がしたいか、なんてことを考えるってこと自体贅沢なことだと思う。、この贅沢さが安全な現代の日本で生活しているってことなのかな。
なんかそんな思想があるらしいですね、人、モノ、金だけでは通用しなくなってきた、みたいな。遠藤君が言ってました。
あと
PCの世界ってのを描く人が思いのほか多いですね。正直、なぜそこに目がいくのよくわからなかったんです。
ただ、パソコンを使う頻度の差ってのもあるんでしょうけど、そう言う題材を選ぶのはとうの昔に生きることについて考え、現代に生きている実感を持っていたからなんでしょうね。
主宰の広田さんが「日本と言うのも1つのフィクション」とボソッと言ってて、その時僕はよくイメージできなかったんです。でも今ならなんとなくわかる気が。
どこかの誰かがこうしようかつって村ができ町ができ国ができただけ。
テレビも電車も会社も洋服も意味ないんだ、いや、あるよ必要だよ、楽しいし、恩恵を受けてる。

山の中の美術館で味わった静けさってのは現代の人間、自分に、生きる本質を諭してくれるんじゃないと思う。
だから「沈まぬ太陽」は衝撃だったです。
まさにその事を言っていたから。
これだって思った。
何かしてみたいことは、農業してみたい、アフリカに行ってみたい、旅をしてみたい、と思う。

実際はそんな良いもんじゃないだろうと想像はできる、でも、そんな実感を自分の中に見つけたのは収穫、実感は大切。

んー何も言えてないなぁ。同じことを繰り返している。
だからどう生きるんだよ。
んー必死で生きるに感動ってやつの必死がとれて、言葉のイメージの裾野が広がったって感じかな。
なんじゃ?

 

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